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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)5723号 判決 1976年5月24日

中間判決

原告

ソシエテ・デチユーデ・シヤンテイフイツク・エ・

アンデユストリエル・ドウ・リル・ドウ・フランス

右代表者

ジエラール・ビユルトー

右訴訟代理人弁護士

武田正彦

外二名

被告

富山化学工業株式会社

右代表者

中野譲

被告

帝国臓器製薬株式会社

右代表者

山口栄一

被告

同仁医薬化工株式会社

右代表者

岡田誠

被告

三亜薬品工業株式会社

右代表者

吉良幹男

右被告ら四名訴訟代理人弁護士

水田耕一

右被告帝国臓器株式会社を除く

被告ら三名訴訟代理人弁護士

黒田英文

右輔佐人弁理士

吉田茂

外二名

右当事者間の昭和四八年(ワ)第五七二三号特許権侵害差止等請求事件、同年(ワ)第五七二四号特許権侵害差止等請求事件、同年(ワ)第六五三四号特許権侵害差止請求事件について、当裁判所は、口頭弁論を原告の権利の存否に制限し、次のとおり中間判決する。

主文

原告が出願日昭和三七年六月二一日の特許番号第四七七九九三号の特許権の特許権者及び特許出願公告昭四七―一三〇三一号に係る権利の権利者であるとの原告の請求原因は理由がある。

事実《省略》

理由

一本件仮保護の権利の存否について

(一)  原告が本件乙発明について昭和三七年六月二一日本件出願をしたところ、本件出願について昭和三九年三月一三日付で本件拒絶査定がされ、その拒絶査定謄本(本件謄本)が同年三月三一日原告あて発送されたこと、本件拒絶査定に対する審判請求期間が職権で二か月延長されたこと、原告が昭和三九年七月一日付の本件延長請求書を提出し、同月三一日本件拒絶査定に対する審判請求書を提出したこと及び本件出願について昭和四六年一二月六日本件出願公告決定が、昭和四七年四月二〇日本件出願公告がそれぞれされたことは当事者間に争いがない。

(二)  被告らは、本件拒絶査定謄本の送達の効力が昭和三九年三月三一日に発生したから、原告の本件延長請求書は拒絶査定に対する審判請求期間が経過し、拒絶査定が確定した後に提出されたことになり、本件出願公告決定は拒絶査定が確定し法律上特許出願が存在しないのにされたもので当然無効であると主張する。

出願公告決定は、審査官が特許出願について拒絶の理由を発見しないときにする出願公告すべき旨の決定であつて、(特許法第五一条第一項)、一の行政処分であり、特許出願についてされるものであるから、特許出願が存在しないのに出願公告決定がされればその決定はその点で既に違法の瑕疵を帯びるものであるということができる。しかしながら、一般に行政処分は、それに瑕疵があり、従つて違法ではあつても、そのことだけで直ちに無効となるものではなく、それが無効となるのは、その瑕疵が重大であり、且つ、なんびとがこれをみてもその瑕疵が明白である場合に限られるものと解される。そこで、本件出願公告決定に右に述べたような重大且つ明白な瑕疵があるかどうかを検討する。

本件拒絶査定謄本が昭和三九年三月三一日に原告にあてて発送されたこと、右拒絶査定に対する審判請求期間が二か月延長されたこと、原告が同年七月一日付の本件延長請求書を提出し、同月三一日本件拒絶査定に対する審判請求書を提出したこと、昭和四六年一二月六日に本件出願公告決定がされたことはいずれも前認定のとおりである。右認定の事実に徴すると、本件出願公告決定をした特許庁審査官は本件出願公告決定をした当時、本件拒絶査定が未だ確定していなかつたものと認定したか、あるいは、被告ら主張のように、本件拒絶査定が確定していたものとすれば、少なくともその確定していたことを過失により気付かないで、それが確定していないものとして本件出願公告決定をしたかのどちらかであるということができる。なぜならば、当該審査官が送達の効力が被告ら主張のように昭和三九年三月三一日に発生したと考え、本件延長請求書が被告ら主張のように同年七月一日に提出されたものと認定したとすれば、本件延長請求書は本件拒絶査定確定後に提出されたことになるから、本件出願公告決定をする筈はないからである。従つて、本件拒絶査定の効力が昭和三九年三月三一日に発生し、しかも本件延長請求書が同年七月一日に提出されたものとすれば、審査官は過失によつてこれが七月一日に提出されたことに気付かず、その前日である同年六月三〇日に提出されたものと認定したものということができ、この場合には本件出願公告決定は違法であるということができるが、その他の場合(①本件拒絶査定謄本の送達の効力が昭和三九年三月三一日に発生し、本件延長請求書が同年六月三〇日に提出された場合②本件拒絶査定謄本の送達の効力が昭和三九年四月一日に生じ、本件延長請求書が同年六月三〇日に提出された場合③本件拒絶査定謄本の送達の効力が昭和三九年四月一日に生じ、本件延長請求書が同年七月一日に提出された場合)には、本件出願公告決定は、拒絶査定が未だ確定していないうちにされたものであるから、いずれも適法ということになる。

ところで、本件拒絶査定謄本送達の効力が、被告ら主張のように、昭和三九年三月三一日に発生したのか、あるいは、原告が主張するように、原告が本件拒絶査定謄本を受領したという同年四月一日に発生したのかについては、原告及び被告らがおのおの主張するような二つの見解が成立する余地があり得るものと考えられる。そのどちらの見解を是とすべきかについて、ここで当裁判所の考えを明らかにする必要はない。それは後に説明するところから分明するように、本件争いの判断に必らずしも必要ではないと考えられるからである。(なお、<書証>によれば、本件拒絶査定謄本の送達当時特許庁における実務の大勢は拒絶査定謄本の送達の効力は発送の時ではなく、受送達者がこれを受領した時に生じるとする解釈がとられていたことを認めることができる。)。

そこで次に、本件延長請求書の提出時期についてみるに、本件全立証によるも、それが昭和三九年六月三〇日であるのか、同年七月一日であるのかは、これを確定することができない。すなわち、<証拠>を総合すると、本件延長請求書は、その記載、受付印の印影及びその当時の特許庁の窓口の一般的な取扱いからみて、多分昭和三九年七月一日に提出されたものであろうと一応推測できないわけではないが、この推測も本件延長請求書における昭和三九年七月一日という提出日の記載が実際の提出日と一致しているということを前提としていえることであり、もし実際の提出日がその前日であり、窓口でその不一致に気付かなかつたということであれば、右前提が崩れるところ、右のような不一致が看過されることが全くあり得ないとはいえない(あり得ないならば、その成立について争いのない乙第二号証の本件延長請求書上に六月三〇日付の受領印が押される筈はないといえる。)ところである。

以上説明したように、本件延長請求書の提出時期が昭和三九年六月三〇日であるか、あるいは同年七月一日であるかは明らかでないが、少なくとも本件出願公告決定をした特許庁審査官は、右出願公告決定をした当時、それが過失に基づくものであるかどうかは別として、本件拒絶査定が確定していたものでないと認定していたものであるということができる。そして、仮に本件拒絶査定謄本の原告に対する送達の効力が昭和三九年三月三一日に発生し、しかも本件延長請求書が同年七月一日に提出され、従つて本件出願公告決定が本件拒絶査定確定後になされた違法のものであつたと仮定しても、右出願公告決定の瑕疵は、なんぴとがこれをみても明白であるということはできず、従つて右出願公告決定は無効であるということはできない。

(三)  出願公告をすべき旨の決定があつたときは、特許庁長官は、その決定の謄本を特許出願人に送達した後出願公告をすべきものである(特許法第五一条第二項)ところ、昭和四七年四月二〇日された本件出願公告は、本件出願公告決定が前説明のとおり無効とすべきものでない以上出願公告が行政処分であるかどうかを問題とすることなく、これを無効とすべきいわれはないものといわなければならない。

(四)  出願公告があつたとき特許出願人は業としてその特許出願に係る発明の実施をする権利を専有する(特許法第五二条)ところ、本件出願公告はこれを無効とすべきものでないこと前説明のとおりであるから、原告はこれによつて前記の権利、いわゆる仮保護の権利を取得したものというべきである。

(五)  被告らは、行政処分が無効となる場合の要件としての重大且つ明白な瑕疵という基準は、処分要件についての権限ある行政庁の判断の誤認の場合に適用されるべきであり、行政庁の認定とはかかわりのない行政庁の抽象的権限の欠缺、処分に基づく法律効果の発生のための要件(単なる処分要件に止まらない前提要件としての申請、私人の同意、処分の通告等)の欠缺の場合には右基準の適用はないと考えられるところ、仮保護の権利を発生させる出願公告決定及び出願公告においては、その手続的要件が重視されるべきであり、特許出願がないのにされた場合には、処分自体の外形上瑕疵が明白であるかどうかを論ずるまでもなく、処分の手続的要件ないし前提要件である特許出願を欠く点において当然無効であると主張する。しかしながら、出願公告決定及び出願公告が無効となるのは、本件の場合は、もともと存在した本件出願が存在しないことになつたかどうかの認定に重大且つ明白な瑕疵がある場合に限られるものというべきであるから、被告らのいう、重大且つ明白な瑕疵という基準が正に適用される場合であるというべきである。被告らの主張は理由がない。

二本件特許権の特許出願日は昭和四〇年八月三一日であるか否かについて

原告が本件特許権の特許権者であること、その特許出願が原告主張のとおりの優先権の主張を伴つて出願されたものであることは当事者間に争いがないが、特許出願日について、原告は、それは昭和三七年六月二一日であると主張し、被告らは、これを争い、本件甲発明の特許出願は、昭和四〇年八月三一日、特許願昭三七―二五四六号特許出願(本件乙発明についての本件出願)を分割して新たにされた出願であるが、本件乙発明の本件出願は、昭和三九年六月三〇日の経過により拒絶査定が確定し、本件甲発明の、分割により新たにされた特許出願の日である昭和四〇年八月三一日には既に出願として存在しなかつたのであるから、改正前特許法第四四条第二項の要件を満さず、同条第三項本文の効果を享受することができないものであつて、その出願日は右新たにされた特許出願の日である昭和四〇年八月三一日と解すべきである旨主張する。しかしながら本件乙発明の本件出願について仮保護の権利が現に有効に存することは前説明のとおりであるから、本件乙発明の本件出願が存しないことを前提とする被告らの主張は、その前提を欠き理由がない。その他本件甲発明の分割による新たな特許出願日遡及の効果を享受する妨げになるべき事実の主張立証はない。

そうすると、本件特許権の出願日は、成立に争いがない甲第二、第三号証から認められる本件出願の出願日である昭和三七年六月二一日と同一の日であるというべきである。

三以上のとおりであるから、原告が出願日昭和三七年六月二一日の本件特許権の特許権者及び本件仮保護の権利の権利者であるとの原告の請求原因は理由があるので、民事訴訟法第一八四条に基づき主文のとおり中間判決する。

(高林克己 牧野利秋 清永利亮)

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